赤富士 油絵 10号
安政元年11月5日(1854年:旧暦)、紀伊半島沖を
震源とするM8.4の巨大な南海地震が発生しました。
発生間もなく、和歌山県の広村(現在の広川町)を
始め沿岸の村々を大津波が襲ってきました。
広村に住む郷士の浜口梧陵は津波が押寄せて来る
ことを悟り、刈り取ったばかりの稲むらに火をつけて、
村の住民を高台に導き大津波から村民を救いました。
戦前の教科書にあた、このエピソードを今年から
小学校5年生の教科書に再び載せることに。
「稲むらの火」と呼ばれて知られていたこエピソードを
通じて地域の連帯感の必要性を学ぶためです。
梧陵は、この後大被害を受けた村民の離散を防ぐ
ために、また再び襲ってくる津波に備えて村を守る
ために、私財をなげうって防波堤の築造工事を進め
村の復旧・復興で被災した村民の生活を支えました。
当時の堤防は広村堤防と呼ばれ、現在も地域の
人々を守る大切な堤防として機能しています。
浜口梧陵は、その後に和歌山藩の勘定奉行を務め、
初代和歌山県会議長として多くの業績を残している。
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