連休入りと共に、気品を備えた「ナラノヤエザクラ」
が満開を迎え、多くの観光客を喜ばせていた。
伝承では、「ナラノヤエザクラ」はその昔、聖武
天皇の時代に、現在の春日山原始林の奥(鶯の
滝付近だとか)で見付けられた桜が宮中に移植
され、美しさが評価され大切に守られてきた。
平安時代になって、藤原道長の娘の一条天皇の
中宮・彰子が当時、興福寺の子院の観禅院の
東円堂横に植えられていた桜の噂を聞き、株を
得ようとしたが叶わず、代えて贈られた一枝を
受けた伊勢大輔が彰子に渡す時に読んだ歌が
「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ
九重ににほひぬるかな 」で、百人一首に残る。
ナラノヤエザクラは、その後江戸時代まで度々
文献などに登場するが行方が知れずになった。
大正11年に植物学者の三好学博士によって
東大寺知足院の裏山に咲いているのが発見され
天然記念物「知足院ナラノヤエザクラ」に指定。
この時の原木は数年前に強風で倒れ、接木で
命を繋いできたが、今年4月17日に奈良県森林
技術センターで育成されて来た原木と同じ遺伝
子を備えた後継樹が同じ場所に移植された。
昨年、東円堂があった観禅院の発掘調査では
将棋の駒の「酔象」が出土している。
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ナラノヤエザクラ
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