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2007年11月30日金曜日

モミジのお世話



渓流 (油絵 : 10号)



いつも通るお寺のモミジも紅葉が進んできました。
紅葉が始まってから気が付いたのですが、モミジの
枝先にモミジ葉が無かったり、葉先が枯れていて
茶色くなっているの目に付きます。

夏の暑さと、水不足が影響しているのだろうと考え
られますが、京都などのモミジの名所になっている
寺院などでは、水枯れに対する管理も大仕事である
とテレビで語っている場面を思い出します。

絵画のような、美しい紅葉を見てもらうためには  
普段からの管理や備えの大変さを知らされます。 
人力や経験を超えた自然の力には、勝てませんが
少しでも、木の気持ちになって世話をするのが基本
なのでしょう。

人間社会でも、自分が幾ら注意をしていても、避けられない
災難に見舞われることがあります。

マンションの最上階に近いところから出火して、両隣や
下の階の住居も、放水や煙で間接的な被害を受けて
いましたが、損害を誰に請求するのかという話が出ました。

これは各自が掛けている火災保険でカバーすること
になるのですが、さて、そのような事態を良く考えて
保険に加入している人は、どれだけいるでしょうね。

単純に金額だけでは無しに、周辺の建物や類焼や
水損の可能性の割合の方を重視する必要があるの
ではないかと、近くで発生した火災で、つくづく思い
知らされました。
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」です。

非常持出袋はありますか?

2007年11月29日木曜日

落ち葉掃除もコミュニケーション




雲海と富士山 (油絵 : 10号)


モミジの紅葉は、気温が8度以下になると始まるそうです。
今年は、夏の暑さが長く続いて秋が短く、寒さが
早くやってくるとの予報をテレビで見ましたが、11月
の半ば近くになって、初冠雪や、霜が降りたとの
ニュースが続いていて、予報どおりに、急に、秋が
深まっているようです。

11月半ば頃から、連日、8度以下、霜が降りる日も
続くようで、京都のモミジも一気に紅葉が進むようです。
油絵を描く人にとっては、タイミングよく、見ごろの
期間内に、二~三日間の小春日和が待ち遠しいことです。

暖かい日は長続きしません。
夜風が枯葉を落とした朝の町では、どこも落ち葉の
掃除に追われて大変なです。
掃いても、掃いても、綺麗になったのを待ち兼ねたかのように、
また直ぐに落ちてきます。

落ち葉掃きの時間をずらしたり、間引いたりしてもよさそう
なのですが、隣同士の意識も働くのか、どちらさまも、
掃除の時間が決まっているように、定時清掃のようです。
でも、これが貴重なコミュニケーションの場であって、いはば
門口会議となっています。



最近の話題は、子供を対象にした通り魔の犯罪です。
校区の老人会や、個人のボランテイアを募って
子供達の登下校の安全を守るネットを作っている
ケースの紹介も、テレビでやっています。

危険に備えた防犯と交通事故などの防止目的で
老齢者には、格好の働き場になっているそうです。
所によっては、ブロック単位で、夜回りをしている
地域もあるそうです。
老齢者が、協力して地域の安全を守り安心を届ける
活動は、頼りなる備えですね。
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」です。

非常持出袋は備えていますか?

2007年11月28日水曜日

暇なのかな~?



初秋の富士山 (油絵: 10号)



テレビで紅葉の見ごろの案内がありました。
近くのお寺も、紹介されていましたので、早速、
見ごろに合わせた、紅葉見物の日程の打合せを
家内と始めましたが、これが、うまく行きません。

なぜか、こういう時期に限って、他の用事や、約束が
あって、タイミングが合わないことになります。
2~3日もかけて、のんびりと紅葉の景色の油絵
描いている人たちは、余程、暇があるのだな、と
うらやましく思ったり、時間のやりくりが上手なのだな
と感心したりしています。



私達は、暇だといっても、日々の縛られた時間の中で
決まった、やらなければならない「モノゴト」がない時間が
あると、暇だ、と意識するのであって、常時、やるべき
「モノゴト」がなければ、暇だと意識しないでしょうね。

町を散歩していると、町の中の一角を縄張りにして
いる野良犬とよく出会います。
こいつは、一日中、町の中をうろついて、暇な奴だな、
などと、家内に言ったりしています。

出会う女性や、老人は無視しているようですれども、
男や子供には、用心深くニラミ上げながらやり過ごします。
商店街から、住宅地、マンションなる一角などの
500m四方余りもの地域を、終日、うろつているのですが
どうも、決して暇だから、うろついているということでは
なさそうなのは良くわかります。

開店したばかりのレストランの前で座っている時には、
用心棒を引き受けるからと、ショバ代を要求している
などと、通りすがりの人の話が面白がっていました。

でも、散歩している犬を見かけると、縄張りから追い出そうと
後に付いて執拗に吠えついて離れないなど、嫌われ者
でもあります。

常に、縄張りを守るために、愛想をしたり、威嚇をしたりと
備えには努力をしているようです。
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」のようです。

非常持出袋の備えはありますか?

2007年11月27日火曜日

絵画のなかのお寺




花と塔 (油絵: 10号)



テレビで例年通り、各地の紅葉便りを流してくれる
時期になりました。
毎年、あそこと、此処にと、尋ねてみたい場所を
メモしたりするのですが、なかなか思い通りには
出かけられません。

タイミングよく、見ごろの時期に出かけることが出来ると
ついつい写真を撮ることに夢中になってしまって、
ゆっくりと紅葉を楽しむことをなおざりにしてしまいがちです。
紅葉のスポットの美しさの印象は、長く記憶に残る
ようで、たまに、油絵でその景色が描かれたのに
出会うと、非常に親近感を覚えるものですね。

京都の清水寺の桜の満開の時期に、舞台と共に
五重塔を描いた絵や、東福寺の通天橋の
紅葉、嵯峨野や嵐山の紅葉のポイントの名場面を
見つけては「此処へ行ったときは良かったね」などと
当時の思い出の会話も楽しいものです。

絵にはなりませんが、重要な文化財や国宝の多い
京都や奈良の塔頭では、秋からの火災シーズンには
防火に神経を使っています。

お寺や神社では、毎年、災害や火災に備え
防災訓練を行うところも多いようです。
最近、お寺での防火訓練を見かけたのですが、
自衛消防団の構成主力はお坊さんでした。

仏さんの前に座ってお経を唱えている姿からは、全ての
読経の僧が老僧だと勘違いしてしまいがちですが、
結構、若い僧や壮年の僧も多く、てきぱきと動く様には、
消防団員も一目置かねばならぬほどの気迫と真剣さが
見られました。やはり、自分等で守るのだという
意識の強さなのでしょう。
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」です。




2007年11月26日月曜日

落ち葉掃除が大変






黄葉の林と渓流 (手描きの油絵: 10号)

秋、木枯らし一番が吹く頃になると、並木道は、黄葉や
紅葉の絵画のような、美しい癒しの情景を見せてくれますが、
一年を通してみると、僅か2~3週間ぐらいなものでしょうか。

落葉が始まる頃が良いとか、半分ほど散った頃が
最高などと、通行人は、勝手なことを言って、楽しんで
いますが、掃除をする方にとっては大変です。
とても、桐一葉などの優雅な世界ではなくて、
日によっては朝と午後の2回の掃除は欠かせない
こともあるようです。

もし、通行人が、落ち葉で滑って怪我でもしたら
大ごとです。
落ち葉があるほうが風情があって良いのに、などと
掃除を手伝うわけでもないのに、無責任なことは
言わないこと。

吉野山は、春の桜の花、そして新緑。
秋は、この桜の葉の黄葉が最高の眺めです。
古代の人は、この黄葉を楽しんだそうです。

吉野地方だけでなく、山間の集落を歩いていると、
必ずと言ってよいほど、池とは別に防火用の用水が、
狭い山道沿いに斜面など削ったりして造られています。

水の不便な山の斜面などにある住まいにとって、
何よりも怖いのが火事です。
一旦、火が出ると谷から風が吹き上がってきて
火が一気に斜面を駆け上がり燃え広がります。

かって、斜面に立てられた吉野独特の造りの旅館の
火事が思い出されます。
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」です。

非常持出袋の準備は出来ていますか?


2007年11月25日日曜日

ナンキンハゼからイチョウへ



そよ風 (モニーズ ロー :複製画)

銀座通りだけでなく、地方都市のビジネス街でも
表通りに、PR用のポスターだけでなく、油絵を飾って
ところが増えて来ています。


画廊などの多い地域では当然ながら、殺風景な
ビル林の中の海側、ひと際目立つ、花のようです。
仕事の疲れを癒してくれる、このような場に出くわすと
経営者の人柄が伝わってくるような思いもします。


やたらと、利息や配当率などを協調しているポスター
は、例え、写真が美しい景色であったとしても、決して
心に和みを与えてくれるものではありません。

丁度それば、モミジの紅葉に先立つナンキンハゼの
毒々しいまでの赤い紅葉に、似たようなものです。
十一月も、そろそろ終りで、ナンキンハゼの落葉が
盛んで、終りに近づいているようです。

替わって、イチョウの鮮やかな黄金色の黄葉が
あちらこちらで、目立つようになりました。
朝の早くから、散歩に来た人たちが、落ちた銀杏を
拾っている姿を見かけます。

しかし、大阪の御堂筋の銀杏並木の黄葉は、例年
半月ほど遅いようです。
ビルの間のあるために、黄葉が始まる引き金となる
気温が必要な温度まで下がらないからなのでしょう。

それでも、銀杏は既に、実っていて、例年通り、
入札者による収穫作業があったようです。
御堂筋のイチョウで気をつけなければならないのが
落ち葉によるスリップです。

落ち葉の上を歩く時は、スリップに、「備えよ常に!」の
気持ちを忘れないことです。


2007年11月24日土曜日

「落ち葉山」にご注意



モネ アルジャントゥイユのセーヌ川の舟 (複製画)



以前、お城が見える大きな公園へ、子供達を連れて
遊びに行ったときに経験した、忘れられない想い出に
こんなことがありました。


紅葉がまだあちこちに残り、絵画の世界のような晩秋
の晴れた日の公園のあちらこちらに、収集に備え
なのか、落ち葉が掃き集められていて山型に積み
上げられていました。



子供達は、その落ち葉の山に、飛び込んだり、手で
落ち葉を放り上げて、上から落ちる様子などを楽しんで
いましたが、突然、悲鳴が上がりました。
なんと、落ち葉の中に犬の糞が入っていたのです。


糞も一緒に掃き集められていたのか、また、犬が
落ち葉の山を好んで、トイレにしたのかは判りませんが
子供にとっては、大変な災難でした。


それからというものは、散歩をしていても、道端の
枯葉の山に自然と目が行くようになり、「落ち葉山」の
様子が気になるようになりました。

そして気付いたのですが、こうした「落ち葉山」は、
犬たちにとって、用足しをするには、好ましいポイント
になるようなのです。


今まで無かったモノへのマーキングの行動なのか
また、子供がやったように、用足しの後、落ち葉を
蹴散らかす感触を楽しむためにやっているのか、
などと思ったりしています。
いずれにしても、処分されずに残されている

「落ち葉山」は要注意です。
備えよ常に!」です。      

             

2007年11月22日木曜日

落ち葉の季節ですね


ゴッホ (ひまわり : 複製画)


木枯らし一番が吹いた翌日、幸いにも風も収まり
寒いながらも時折、お日さんも顔を出してくれる天気
になり、昨日の寒さが人々の挨拶でもあり、話題でも
ある一日でした。
ただ、この時期の厄介者は落ち葉です。

道や空き地は、落ち葉が占領しています。
排水溝や道端の吹き溜まりには落ち葉が積もっています。
各家庭では、この日の大仕事が、この落ち葉の掃除
持出した大きなゴミ袋を引きずりながら、せっせと
落ち葉を詰め込んでいる人が、あちこちで見られます。
とてもロマンチックな落ち葉の在る油絵の世界では *
ありません。

町の住宅街では、特に多い落ち葉は桜とハナミズキ
です。
土手などの桜並木に降り敷かれている桜の落ち葉は
色目もきれいで、写真には格好の情景を提供して
くれますし、また、川面を埋めて、ゆったりと流れてゆく
落ち葉の布は、色柄を変えながら揺らいでいて、
見ていて飽きない場面でもあります。

困るのは、屋根と樋に溜まった落ち葉です。
女性や老人だけの家庭では、始末に負えないことに
なってきます。
早めに落ち葉を取り除く備えの無い家庭では、放って 
おいて、縦の樋管に入って詰まらせてしまうと
それこそ、素人では手の付けられない事態になって
しまい、思わぬ出費を強いられることになります。

落ち葉掃除が先か、咲いた花を楽しむのが先かは
判りませんが、桜の花を楽しませてもらっているのに
掃除を手伝いましょうとも声を掛けない自分が、少し
恥ずかしくもあり、感謝の気持ちの日でした。

2007年11月21日水曜日

木枯らし一番

日の出 印象 (モネ : 複製画)

好天を期待して、落慶のお祝い行事が済んだばかりの
山上の神社に、紅葉見物を兼ねて出かけてました。

テレビの紅葉の案内で、見ごろを迎えているという
ニュースに、思い立ってのことでした


大渋滞の中、山を登るにつれて、木々がだんだん激しく

波打つようになり、不安にかられながらの、やっと、山の
駐車場に着く頃には、雨が降り出してきました。


折角ここまで来たのだから、ユーターンも出来ずと
薄いビニールのレインコートを持っていたのを幸いに
バスを降りて直ぐに着込んで、神社へ向かいました。


今年のモミジは、夏の暑さのためにか、色づきが
悪く、くすんだ茶色が、やたらに目に付く冴えない
紅葉にはがっかりしました。


テレビで映した紅葉の現場は何処なのかなと、探して
みましたが、これという該当する美しく紅葉した木は
見つけることができませんでした。
はやりの偽装包装ではありませんが、少し期待はずれの
モミジ見物でした。


目的の塔は、葺き替えられた桧皮と建物の紅色が映えて
絵画で良くみる景色、そのままの見事さでした。


しかし、ここは山上でもあり、木枯らし一番が吹き荒れる
中での滞在は、薄着の上にビニール合羽一枚で、防寒の

備えの無い我が身には、耐えられない寒さが襲ってきます。


紅葉を眺めながら楽しもうと、町で買ってきたビールを
飲むどころではなく、寒さに震えながらの退散となった
山の一日でした。


備えよ常に! 備えあれば憂いなし」とは、私に
対しての格言でした。

2007年11月20日火曜日

気ままなサイクリング





野菜畑 (ゴッホ:複製画)

時々、思い立って自転車でサイクリングに飛び出す
ことがあります。
はっきりとした目的地を決めることなく、散歩の気分で
出かけるのですが、気が付くと、一時間ほども走って
しまっていることもあります。

油絵が描ければ良いのにと思える場所に出会うことも
少なくありませんが、このような場所でのんびりと
休憩できるのが、気ままなサイクリングのうれしい
ところです。

しかし、こういう時に限って、飲み物も財布も持たずに出て
しまっていて、残念なサイクリングになっていまったことが
何度か重なってから、サイクリング用に目立つバッグを
購入して、タオルやテイッシュは当然として、小型ナイフ
キズ薬や傷テープ、のど飴やクッキーを常備するように
しています。

出かける時には、今では、水を500ML、時には
缶ビールを一つ。 そして、小さなメモ帳を忘れない
ようにして、サイクリング用の非常持出袋としています。
持ちたくない携帯電話は、家内からの厳命で、必ず
携行する羽目になっていますが、帰途に付く前に
居場所と今から帰る、と報告のメイルを送るのが
義務になっています。

最近は自転車での事故も多発していますので、
走行には、注意をして、安全にと、お巡りさん並みの
事前の注意を受けての出発になります。
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」です。


2007年11月19日月曜日

森は自然が一杯 自然のままに


船遊びする人々の昼食(ルノアール:複製画)

時折、ハイキングや、山歩きする人しか通らない
森の深い場所まで入り込んで、自然のオゾンを
胸いっぱい吸い込んで、リフレッシュすることがあります。
癒しと安らぎのひと時です。

家から自転車で森の入り口の坂の手前まで行って、
10km足らずの距離を歩くのですが、一年中、森の
木々や小鳥の声を楽しめる良い場所です。

子供の頃に観たクールベの森の情景の油絵などを
思い出しながら、のんびりと歩くときは、最高の時間です。


しかし、良いことばかりではありません。
特に、雨上がりや風のある日は、山の斜面からの
落石が多いということです。
大雨の後などは、1トンクラスの岩が道の中央まで
転がり落ちていたり、大風の後は倒木が道をふさぐ
ことも少なくありません。


特に気をつけて歩かねばならないのが、頭上からの
腐った幹や枝の落下です。
頭を直撃されたら、大ごとだっただろうなと思うことも
しばしばです。


更に加えて、夏には、マムシを始め、蛇にはよく
出会します。
蛇が大の苦手の私には、足元ばかりが気になって
とても、頭上には注意が向かない山歩きです。


雨上がりや湿った場所での、ヤマヒルも要注意です。
蛇やヤマヒルに備えて、道からそれたり、湿った場所
では休憩をしないなど、自分なりに、「備えよ常に!」
の気持ちを、自分に言い聞かせての山歩きです。


2007年11月18日日曜日

世界の一級の美術品を身近で




塔のある村の通り (Marce: 複製画

終戦直後の荒廃した時代、そして、すさんだ時代から
昭和の30年代の高度成長時代になって、やっと
美術、芸術を楽しめる時代になりましたが、当時は
写真帖で見たモナリザの現物が見られるということで
日本中が沸き立ちました。
東京の西洋美術館でロダンの「考える人」も
大人気 でした。

京都の国立博物館の正面の前に葉には、大きな
「考える人」の像が、入館者を迎えてくれます。
こうした、世界に名の知れら第一級の美術品と
普段着のままで気軽に接することが出来る時代の
ありがたさを喜んでいる人も多いことでしょう。

また、当時では、及びもつかなかった海外の美術館に、
好きな時に、気ままに出かけていって、存分に、
世界の芸術や美術作品を見られる世になり、美術館を
訪問するコースを組み込んだツアーの案内も、非常に
多くなっていることに驚きます。


日本では、町の中での美術品としては、お寺の仏像や
たまには、文化財に指定されたお地蔵さんに出会うことが
ありますが、生活に密着しているものには、特に、親しみ
を持って接することが出来ます。

近くの、お地蔵さんの横が、ゴミの集積所になっていて、
早朝、散歩をしていると、ネコがゴミを漁っている場面に
しばしば、出くわします。
中には、首輪をして、毛並みの良い「良家」のネコ様
も混じっていることがあり、声をかけると、愛想よく「ニャー」と
挨拶を返してくれる時もありますが、一(ひと)ニラミして、
走り去る場合もあります。


大事に育てられている飼い猫でしょうが、家で与えられる、
出来合いのキャッツフードに飽きて、外食を楽しんでいる
のかもしれないですが、衛生面から考えても感心した
ものではありません。


犬と違って、ネコは、紐でつなぎっぱなしとは行かないので
しつけが非常に難しいようですね。
外出先や帰宅時間、夜は外食するかしないかなど
お嬢さん並みに連絡するネコなどは、居るわけが
ないだろうけれども。

完全に野良化した、ネコは、本当に厄介者で困ります。
老人家庭などへは、我が家と言わんばかりに、悠々と
上がり込んできて餌を漁ったり、かっぱらいを働くので
自衛の備えが大変です。

ノラに対しても、「備えよ常に!備えあれば憂いなし」ですね。


2007年11月17日土曜日



舞台の踊り子(ドガ:複製画)

散歩などで良く利用する通りも、気をつけて周囲を見ると
結構危険な箇所があるものです。

私がいつも通る場所で、これは危険だと、避けている
場所の一つに、屋根瓦がずれていて、何かの弾みで
直ぐにも落ちそうな所があります。

虫籠窓のある古い造りの空き家ですが、通りに面した
格子には、町内の案内や、美術館の絵画展のポスターなども
下げられていて、それなりに、良い雰囲気を保っています。

誰も住んでいないとはいえ、歴史の在る街道沿いのため
絵になるポイントでもあります。

しかし、掲示物の頭上にせり出した瓦は、危険なこと、
この上もない状況です。
地域の人で、これは一般通行人の安全のためにも、
何とかして欲しいと思っているところです。

先日、この場所から少し離れた空き地のある場所で、
子供が、自転車で狭い道へ曲がりこんで入って行った
その角を、通りすがりに見て、ひやりとしたのは、曲り角の
一角が、鉄条網で囲われていたことです。

もし、尖った針に服でも引っ掛けて転倒していたら
大怪我をしていただろうと思ったものでした。
良く考えてみると、市内を少し外れれば、畑や空き地が
危険な鉄条網で囲われている場所が、少なくないと
言うことです。

侵入者を威嚇し、防止する備えの意図は判るのですが、
善意の一般通行人に危険が及ぶ可能性が非常に
高いこの種の柵は、なくしてて欲しいものです。

毎日、特別な危険意識を持たずに歩いているのですが
穴ぼこでのツマヅキを始め、怪我をしても、苦情を
ぶっつける先の無い危険が、少なくないということに
改めて驚きます。

先ずは自分自身が「備えよ常に! 備えあれば憂いなし
ということになりそうです。

2007年11月16日金曜日

正倉院展。 芸術の秋です。



晩鐘(ミレー:複製画)

芸術の秋。この時期に合わせた美術展や、絵画展が
あちこちで開かれています。
その中でも、国宝の公開といえば、正倉院展です。
最近は、修学旅行生や、台湾、韓国など、海外の
お客さんも団体での来館が多くて奈良国立博物館は
終日、満員続きです。


折角、出かけて行ったのに、まともに見ることが
出来なかったという苦情も多いようです。
近年混雑日には、時間を延長して、夜間の公開も
始めていますが、この時間帯は、どちらかといえば
近くの人たちや、泊まりがけの人たちにとっては、
安心してゆっくり見られる狙い目となっています。



何も、わざわざ遠方まで出かけなくても、家から少し
散歩に出るだけで、或いは、車で半時間も走れば
日々移り行く秋の情景を楽しめる恵まれた環境に
住んでいる人も多いことでしょう。



少し気をつけてみると、道端の垣根や草むらにも
秋はあります。
額に入った絵画に劣らぬ感動を与えてくれる草花も
少なくありません。



草むらに咲く野菊を摘もうと思って、不用意に足を
踏みいれた途端、見えなかった溝にの、泥の中に
足を突っ込んで倒れこんだこともあります。
美しいからといって、手を出すからだと家内に
冷やかされました。

油断大敵。備えよ常に!ですね。






2007年11月15日木曜日

公園墓地のネコ


アイリス(ゴッホ)

公園墓地にあるお墓へ、お参りに行ってきました。
その一角にある教団の信者の納骨所の前に供え
られて入る生花は、いつも足を止めて見とれるほどに
見事です。

色とりどりの菊やカサブランカなどが、いつも十数種
活けられていて、10号サイズに描かれた油絵
思わせれ豪華さです。
専属の花屋さんと活ける人がおられるようです。
我が家のご先祖さんには、隔月程度でご辛抱願って
います。



この公園の池の傍らにベンチがあり、近隣の人や
墓参の人が、池のガンやアヒルを眺めながら
憩いのひと時を過ごしていますが、やはり、
此処の主は、野良ちゃんです。
いつも、数匹ほどのネコがうろついています。

私の散歩する途中にある、無住のお寺の門には、
子猫が生まれた跡では、多いときには11匹まで
数えたことがありますが、冬の寒さが影響してか
無事に越年しているのは、毎年、半数余りのようだです。


通りすがりの人には、野良猫は、威嚇はしても、寄って
こようとはぜす、顔見知りの餌を運んでくれる人にだけ
気を許しているようです。

ネズミによる、チュー害防止には、効果があるのでしょうが。
臭いもきつい、野良猫の巣窟は、歓迎できるものではありません。
犬とは違って、保険所では、野良猫は捕獲の対象外のようです。


町中や、住宅街の野良猫は、ゴミ漁りだけでなく、「侵入盗」の
常習犯で、油断がならない相手です。
寝ている赤ちゃんの枕元まで入って来ていて青くなったと、
話しているお母さんもいましたが、台所の食品、特に魚類には
十分な用心が必要です。



時には、戸棚を開けたり、棚の上のものを落としたりと、
野良猫はやりたい放題で、厄介な相手です。
勝手口の引き戸を開けるぐらいは日常茶飯事の「侵入盗」に
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」の日々です。







2007年11月14日水曜日

カンバスの花は永遠に



















ひまわり(ゴッホ)



   毎年、見事な花をつける桜が通り筋にある

のですが開花季節になると、毎年、魅せられて、

  同じような写真を撮っているのですが、撮った

  写真を比べて見ると年ごとに樹勢が衰えて来て
  いるのに気がついて驚きました。

  記念や記録の方法としては、写真もよいのですが、
  花への思いの全てをカンバスに描き残せる画才の
  ある人をうらやましく思います。


  往時の見事な姿を、油絵にしておけば、散歩が
  できなく なっても、また、木が枯れても末永く、
  想い出と共に、楽しめるのにとつくづく思います。
例祭のときは、参拝客で混雑する神社も、普段は、
緑の森に映える赤い柱や社殿は、写生や、絵を
描く人たちにとっては、格好の場所になっています。

本殿の周りには、取り囲むように消火栓があり、
消防の 設備が完備されていて、さすがに、重要
文化財の 神社は防火には、厳しく対応をして
いるのだなと 感じます。

しかし、絵を描いている人のカンバスを見ると、中には
目障りなのか、消火栓を、描いていない人もいます。
写真と違って、絵画のメリットですが、もし、消防署の
関係者だったら、どのように描くのでしょう?
特に、丁寧に描くかな、などと思ったりもしました。

本殿を離れて、10歩分、鬱蒼とした杉木立に覆われた
奥の院を訪れると、火災に備えて、赤いバケツの防火
用水が祠の横に並べられています。
夏には、ここは蚊の巣窟になり、大変だなと思われ
ますが、防蚊より、防火が優先ですね。

2007年11月13日火曜日

朝日を浴びて写生

観光客のが増える前の早い時間に、お堂への階段
を登ると、この人は何時ごろから、ここに座っている
のかと気になるほど、早い時間から、朝日を浴びて
写生をしている人に出会うことがあります。
絵を愛する人にとっては、この時間が、癒しの
ひと時なのでしょうね。

昼頃の絵画のグループの人たちは、観光の人が
避けて通らねばなら無い時間帯でも、余り気にして
いないようですが、中には、通行人は邪魔者以外の
何者でもないと、言いたげな人もいます。

お堂の上の高台から久しぶりに町を見下ろしてきました。
気をつけてみると、あちらこちらで、様子が変わってきて
来ているのに気付きます。
散歩の途中で現場へ行ってみると、落胆することが
少なくありません。
ドイツの町並みのように、街の雰囲気を大事にして
バランスを考えないで、建物を建てるケースが余りにも
多すぎます。

最近は、加えて、本通から外れた道の荒れようが
気になります。
地方には予算が無いというのは理解できますが、
本通りでない脇道の舗装が荒れたままになっている所が
やたらに目に付く時代になりました。

各町会では、道路補修の陳情合戦になっているようです。
今や、アスファルトの絆創膏補修も順番待ちとか。
ツマヅキや、泥はね被害には、歩行者自身の責任で
注意して歩かねばならない時代の到来です。

アメリカでは、くぼみに足を取られて怪我をしたとして
行政を訴えるという話を、よく耳にしましたが、こと
日本では、通らない話でしょうね。
地域は地域で、わが身は我が身で守らねば、ですね。
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」ですね。

2007年11月12日月曜日

イチョウの木も色づいて絵の季節です

寺の山門をくぐると、大きなイチョウの木が、ここの
主であるかのうに、その存在感を示しています。
青葉の頃、黄葉の頃は特に、絵画のグループなども
思いおもいの場所に陣取って、写生に勤しむ姿が
みられます。
最近は、絵画教室も盛んなようで、退職者相手だけ
ではなく、幅広い年齢層の男女が参加しています。

写生する人が見られるのは、定番になった場所だけでは
なくて、古い町並を歩いていると、ふっと、子供の時代に
遊んだり、出会ったような場所や、戦前のたたずまいの
姿そのままの一角に出会うことがあります。

安らぎを覚える瞬間ですが、地上げや建て替えも
進んでいるので、懐かしさに誘われて、絵にして
残そうという人たちのグループもよく見かけます。

先週、京都の山裾の社寺の巡ってきました。
森の中のお寺から更に奥へ続く道をたどると
奥の院と称される祠があるところにたどりつきました。
しんどい目をしてして、やっとたどり着いても、さほどの
文化財らしい祠でもないケースが多いですが、たいていは、
このような場所は、水が近くに無いため、火災に備えて、
バケツに3杯程度、所によれば5杯ほども赤いバケツに
水が汲み置かれています。
消防署の指導もあるのでしょうが、「備えよ常に!」
が防火にとっても基本です。

2007年11月11日日曜日

山の端に残月が

朝早くに外へ出ると、未だ沈まない月が山の上に
残っています。
沈まないのではなくて、明るくなっていないから
見えるのだというほうが正しいかもしれません。
童謡の世界のままの方が良かっただろうに、お月さんの
素肌のアバタが、ハイビジョンのカメラで捉えられ
その姿を画面でつぶさに見る時代、というより見せられる
時代になってしまいました。
月の砂漠は、絵や歌の癒しの世界ですが、映し出される
お月さんの月上の世界は、とても絵画の世界ではありません。
詩情の無い写真の世界だとしか、言いようがありません。

天気も心配がありませんでしたので、山手へ足を伸ばして、
いつも行くお決まりの地点まで上がりました。
気になるのは、最近、特に多くなったイノシシのミミズ
を漁った跡です。
山裾の畑や民家近くまで出没するようになり、単独で
ぶらぶらと山の中へ行くのは危険だと家族に止められる
ほどです。
目の前を走り抜けたり、道を横切る猪には、数回は出会って
いますが、用心の備えとしても、せいぜい山用の杖ぐらいです。
イノシシも住処を追われているのかも知れませんが
私も癒しの場を失う被害者になりそうです。

山裾の神社やお寺を訪れると、消火器が、柱にぶら下げら
れていることを良く眼にします。
これが、写真を撮ろうとするときには、目に付いて雰囲気を
ぶち壊してしまうのにと、気になります。
特に、あの赤い色が、落着いた柱や壁の色の中で一際目立って、
消火器を撮るのじゃないと言いたくなることも、少なくありません。
気まぐれな参拝者の文句や不便さよりも、火の用心が最優先。
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」が優先ですね。

2007年11月10日土曜日

落ち葉のシーズンがやってきました。

落ち葉のシーズンがやってきました。
5,6月頃の常緑樹の落ち葉は、どうしてもゴミが落ちて
来ているとしか考えられないのですが、秋の落ち葉は
詩の心を持って落ちてくるように思えてなりません。

映画、「第三の男」のラストシーンを思い起こさせます。
秋の落葉や紅葉は、絵画の題材としては、一番多い のも
うなずけます。
特に、四季と密接に生活をする日本人にとって、秋の
情景は、心を動かすようです。

秋が深まり、冬将軍がやって来る頃になると
健康には、各自が今まで以上に気を使わねばなら
ないことになりますが、最近は、特に大変です。

薬価や診療費が下げられて、薬局経営やお医者さん
も大変だとは思いますが、これからは、年金生活者は
一段と健康保険料の負担増で苦しまなければ
なりません。
散歩をする人や、スポーツクラブへ通う人が増えている
理由であることは間違いありません
国民のやるべき第一の備えは、病や怪我に対してです。
薬やお医者さんの世話にならないことです。

突然の病気は、いはば、火事のようなものです。
散歩の途中で目にする様子ですが、入り組んだ街角の
家の前には赤いバケツに水が張って置いてある地域が
あります。

この辺りでは、やはり、火事に対する備えが、最も
重要なことなのは、家並みからも想像できます。
戦時中は、各家の玄関横には、防火用水と記された
コンクリート製の規格品の用水が置かれていたのを
思い起こします。

健康も同じように、備えなのでしょうね。
備えよ常に! 備えあれば憂いなし」ですね。

2007年11月9日金曜日

雨上がり空をカラスが群れて朝食に

雨上がりで、まだ雲の残る空をカラスが、数羽、群れ
を作って田畑の方へ飛んでゆきます。
いつものことですが、ごみの収集日には、町家の
屋根に早朝からやってきて、数羽が待ち遠しそうに
場所定めをしています。
屋根のカラスや、ゴミをあさるカラスは、とても
部屋を飾る絵画の題材にはなりそうにもありません。

朝方まで降っていた、久々の雨で、水溜りが残っている
通りの掲示板や、所々の家の格子に手描きのポスター
が貼ってあり、地区の子供がそれぞれに書いたよう
ですが、日曜日に、小学校で行われる消防訓練への
参加を呼びかけています。

例年は、出初式のときに、華々しいセレモニーとして
行われることが多いですが、お年寄りでも出やすい
季節の良い日に学校に集まるのは意義ある行事です。
日頃から大事なのは「備えよ常に!」の連携でしょう。

午後に見ていたテレビの、飛び込み訪問の番組で、
各政党の代表者に、テロ対策法についての意見を
聞くシーンがありました。
元自民党のコワモテの人の事務所訪問の場面で
驚いたのは、10号以上の大きな油絵が、部屋の
あちこちに所狭しと立てかけられていました。

鑑賞や、趣味の収集でもなさそうな、状況に驚きました。
ご自慢、或いはお気に入りの絵の紹介も聞きたかった
場面でした。

2007年11月8日木曜日

久しぶりに明るい朝の空でした

久しぶりに明るい朝の空でした。
いつもの通り、散歩に出ると、頭上で雀たちが
にぎやかに、朝のミーティング中です。
やはり、小雀らしいのが一番騒がしくお喋りを
しているようです。
中にはいら立っている様子の親雀もいます。
絵画の中のメルヘンの世界のようです。
下を行く一人ひとりを話題にしているかのようです。


木々の葉の彩りも秋めいて着ています。
特に早いのが、余り好きでないナンキンハゼの
木の葉です。
早いのは、周囲の桜などの葉がまだ青いうちから
赤く、というより赤黒く色づいて、やたらと存在感を
誇張しているいる感じです。
アクセントが強いので、油絵を描いている人たち
には、格好の題材かもしれません。


街の通りには、角々に消火器がかけられていて
横には、街の町名が書かれています。
狭い、入り組んだ小道などでは、初めて訪れる人や、
町名を探す人には、随分と役に立つ防災道具です。
定期点検もされているようですが、消火器の入って
いる箱は、大分くたびれていて、中には、扉の留め
金が外れていたり、ひどいのでは、外れているが
見えます。


町に住む人たちの防災や防犯に対する取り組みも
かなりしっかりしています。
年寄りの多い町だけに、お互いの連絡や、連携が
不可欠です。
非常持出品や初期消火の備えなども、通りから
見ているだけで、レベルの高さがうかがい知れます。
「備えよ常に! 備えあれば憂いなし」です。

2007年11月7日水曜日

非常持出袋の中身

非常持出袋の中身情報

 非常持出袋の中に、いったい何を、どれだけ入れるの?

 役に立つ非常持出袋の中身とは、どのようなモノでしょうか?
 あなたは、準備しているの?
 イザという時の備えは大丈夫?

 「備えよ常に!」ですよ!!
       
地震や洪水の災害が起こるたびに、非常持出袋作ってる? と
皆さんも聞いたり聞かれたりしていませんか?
何時起こっても不思議でない東海地震に不安を覚えながら
なんとなく日々を送っているのが、一般的ではないでしょうか?

でも、全く予測も危険性の情報もなかった北陸・信越地方で
立て続けに地震が発生し、被災者の悲惨な姿や気の毒な
避難生活の様子がメデイアを通じて、目に飛び込んできます。
画像や絵画の世界ではありません。

そして、多くの人が「東海や東南海地震だけではないんだ。
此処は大丈夫かな? 何か備えをしておかないといかんかな」
と、考えたのではないでしょうか?

 家族を守る「非常持出袋」

そうです。
こんな災害に自分自身が合うかもしれないんだと
気付けば、もうあなたと、あなたの家族の「安心」のために
一歩を踏み出したことになります。
自分の家族は、自分で守るものですよね。 

 イザという時の「非常持出袋」

そこで出番なのが、この「非常持出袋」なんです。
非常持出袋は何も難しいものではありません。
家から出て、避難所へ逃げ込まなければならなくなった時
避難所ですぐに必要になるモノ

そして、しばらくは家にも戻れなくなって、避難所で
待機しなければならなくなった場合に、
最低限、必要になりそうなモノ
       
少し大げさに言えば、生き延びるために必要なモノ
と言うことになりますね。
そして、その次が「命から二番目に大事なモノ」と考えたら
良いのではないでしょうか?
このような「必要なモノ」を、イザと言う時のために
袋に入れて備えておくのが「非常持出袋」です。

「備えよ常に! 備えあれば憂いなし」 です。