満月とフクロウ 油絵 10号
明日香村で斉明天皇陵でることが確実となった牽牛子
(けんごし)塚古墳は、天武・持統天皇陵と同様に
八角形の形を備えた陵墓でした。
八角形に切石が敷かれた内側には、切石を3段に
積上げた豪壮な石積みのお墓だったと想定されています。
この中には、推定で70トンもある巨石を10数Kmも
離れた二上山からの運び、巾5mx奥行き3.5mx
高さ2.5mの石室を刳り抜いて造っています。
内部には中仕切りを設けて2室とし、それぞれに棺を
置く棺台を備えています。
この巨大な岩に、正平16(1361)年8月3日の早朝に
発生した正平南海地震で長さ3mにもなる大きな亀裂が
入っているのが見つかりました。
この古墳の北にある力ヅマヤマ古墳は、平板石を
積上げて造られていましたが、やはりこの正平地震に
よる地すべりで石室が真っ二つに割られて破壊されて
しまっており、地震の非常に大きな破壊力が判ります。
継体天皇陵とされる今城塚古墳や仁徳天皇陵と言われて
いる大山古墳も、過去の大地震で大規模な地すべりを
起こしており、墳丘の形状が大きく変形しています。
0 件のコメント:
コメントを投稿