ページ

2010年9月28日火曜日

巨石の石室も破壊した地震

満月とフクロウ  油絵  10号





明日香村で斉明天皇陵でることが確実となった牽牛子

(けんごし)塚古墳は、天武・持統天皇陵と同様に

八角形の形を備えた陵墓でした。

八角形に切石が敷かれた内側には、切石を3段に

積上げた豪壮な石積みのお墓だったと想定されています。

この中には、推定で70トンもある巨石を10数Kmも

離れた二上山からの運び、巾5mx奥行き3.5mx

高さ2.5mの石室を刳り抜いて造っています。

内部には中仕切りを設けて2室とし、それぞれに棺を

置く棺台を備えています。

この巨大な岩に、正平16(1361)年8月3日の早朝に
発生した正平南海地震で長さ3mにもなる大きな亀裂が

入っているのが見つかりました。

この古墳の北にある力ヅマヤマ古墳は、平板石を

積上げて造られていましたが、やはりこの正平地震

よる地すべりで石室が真っ二つに割られて破壊されて

しまっており、地震の非常に大きな破壊力が判ります。

継体天皇陵とされる今城塚古墳や仁徳天皇陵と言われて

いる大山古墳も、過去の大地震で大規模な地すべりを

起こしており、墳丘の形状が大きく変形しています。

0 件のコメント: