ページ

2023年6月22日木曜日

中国一豊かな村 モデルだった華西村の没落

備えよ常に! 備えあれば憂いなし
キ ク ザ ク ラ  東大寺



解放時には、小さな貧しい村だった華西村が

農地の集団化とともに余剰村民が副業の

起業に努力し、やがて中國共産党のモデルの

農村の姿と持て囃させて、絶頂期で在った

のは2000年ごろまでだった。

貧しい生活から抜け出すために、村の

リーダーは農業を発展させるためとして

発電所を建設し、水路を修復し、効率化。

これで、1972年には穀物収穫量が1ムー(畝)

当たり1トン超、反収で1500㎏を超えた。

一方で、力を入れた副業は、1976年には

副業生産額は5600万円に達し、村人1人

当たりの所得が大幅に上昇した。

1980年、北京政府の農村改革である[契約

責任制]の実施に伴い、集団農地を各世帯に

分配し、各個人の分配地で農業に従事させた。

だが、華西村は人口過多で土地が少ない。

リーダーは、各個人に分けてしまうと、

農業の発展は望めないと考えた。

そこで、村民は20~30人の優秀な農業

従事者に村の農地の土地耕作を契約させ、

彼らを農業への従事に特化させた。

残りの人材で、副業として郷鎮企業の発展に

取組み、製鉄所や紡績工場なども建設。

農業から、工業へとシフト化を進めて、

1994年には、鉄鋼、繊維、化学工業など

45社を保有した[華西集団]が設立された。

これで、党の宣伝部もバックアップし、

一気に名声が全国に広がった。

全国から、観光客が押し寄せ居るようになり

鉄鋼、紡績、観光が、華西の三大柱産業に。

預金口座に2億円の預金がない者はいないと

言われるほどに、華西村は発展。

華西村の各世帯から2億円を拠出して、

600億円で4つ星ホテルまで建設した。

1999年に、華西村は証券取引所への上場し、

華西村企業の総資産は1兆円を超えていた。

だが、2014年以降は環境保護の機運の高まり

と共に、環境への投資が嵩み、主力となって

いた鉄鋼事業の利益が激減し、採算が悪化。

新たに、始めた金融投資やIT、半導体などの

ハイテク産業に経営資本を集中させて失敗。

今では、8000億円近い負債を背負い、華西村

全体が債務超過に陥っているが、共産党

宣伝部は村の実態報道を禁じている。

備えよ常に! 備えあれば憂いなし 

 健康と安心のメタボへの備えは?





0 件のコメント: