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2025年11月13日木曜日

魏志倭人伝の時代と倭国大乱 高地性集落

備えよ常に! 備えあれば憂いなし
木 槿 八 重



日本の古代を知る確かな記録に魏志倭人伝がある。

当時、倭国内には100を超えるクニが存在し、

相争って乱れたが年若い卑弥呼を立てた後に

収まり、女王の支配する倭として記録された。

魏志倭人伝を編纂した珍寿は、北九州中央部を

支配していた、この女王国は南の狗奴国との

争いに敗れ、卑弥呼は死の道を選ばされた。

狗奴国に占領され、一時は落ち着いた九州も

再び乱れた後に卑弥呼の宗女の登与を立てて

再び安定した後、登与は大和に遷都した。

弥生時代に、瀬戸内海の沿岸地域から、大和

平野の周辺部、更には、日本海側の沿岸部の

越後地方にまで、高地性集落が存在したことが

明らかになり、現在までにおよそ700ヶ所ほどの

集落跡が確認されている。

高地性集落は、海岸部や道路、或いは平野部の

居住地を見渡せる見晴らしの良い尾根筋などに

設けられていた。

だが、発掘結果では襲撃にあったような争いの

痕跡はなく、狼煙後や見張り台らしき建物跡を

検出していることから、[よそ者]の侵入、或いは

稲田やコメを巡る争いを避けるためだったようだ。

瀬戸内海沿岸での高地性集落遺跡は、弥生時代

中期後半の紀元前1世紀から紀元2世紀にかけて

多くが見つかり、越後地域では紀元3世紀

初頭に当たる古墳時代初頭時代の遺跡まで

見つかっている。

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