1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分、静岡県
西部から三重県にかけての太平洋沖で尾鷲市沖
20Km付近が震源のM7.9の海溝型地震が発生した。
この地震で静岡県や愛知県の一部で震度7を記録。
全壊家屋は約1万7000棟、その後発生した津波で
1200人余りが死亡したとされ、尾鷲市では10mの
大津波が襲ったとされる。
太平洋戦争中であったことや多くの軍需工場が
大きな被害を受けたこともあり、詳しい被害状況
などは厳しく報道規制された。
戦後になって、残された資料や記録の調査で
地震の規模や被害状況が次第に明らかになった。
愛知県や三重県を中心に多くの工場や学校が
倒壊し、学童にも多くのけが人が出ていた。
地震の揺れは震源から100Km以上も離れた長野県
諏訪市や福井県、滋賀県でも被害が発生した。
最近の専門家による被害記録調査から、家屋の
被害率が最も高かったのが、現在の西尾市に
あった旧福地村で75%を超え、周辺の旧村落も
高い被害率を示していた。
この地域は付替え以前の矢作川の流域に広がる
軟弱地盤だったことが大きく影響していた。
愛知県の伊勢湾岸の一帯でも被害が大きかった。
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