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2025年6月30日月曜日

アメリカとイラン 対立は1979年から

備えよ常に! 備えあれば憂いなし
薔 薇



6月22日、イスラエルを支援する米国は、

直接介入し、イランの3核施設を攻撃した。

イランの最高指導者ハメネイ師は激怒。

今から50年前は、米国はイランを積極的に

支援し、日本と共に親米・親日国家だった。

戦後の1940年代以降は、イランはパフラヴィー

皇帝が支配する王政国家で、米国など欧米

からの支援を受けて親米化路線を進めて、

政治、経済の近代化、民主化に積極的に

取り組んでいた。

農村開発や教育の振興、特に女性解放を掲げ、

イスラム教の教則であるヒジャブの着用を

禁止し、婦人参政権を確立するなど政教分離

原則化を積極的に進めた。

急速な経済の発展と共に、所得格差も大きく

なって行く中、オイルショックが発生し、

経済が不安定化、貧富差の拡大などに不満を

抱く、学生を中心した皇帝への不満が拡大。

イスラーム原理主義を唱え、厳格なイスラム

教の教えを説くホメイニ師を指導者とする

イスラム法学者を中心に、ソ連などが支援する

イラン共産党などが結集した、イラン革命が

発生し、パフラヴィー皇帝を追放。

皇帝が、諸国を転々とした後に米国に亡命。

これを契機に、反体制派がテヘランにある

米国大使館の塀を乗り越えて侵入して占拠し、

外交官や家族など52人を人質とした。

レーガン大統領が、解決に乗り出し人質全員が

解放されるまで444日を要した。

また、1980年から始まったイラン・イラク戦争

では、米がイラクを軍事支援してイランと戦った

ことなどで、米とイランの対立が激化した。

一方、日本は電化製品や映画、アニメなどの

庶民生活に密着した文化などで日本への

好感度が高く、特に同じイスラム国家の

インドネシアと同様に、映画の[おしん]が

国民の心に深い感銘を与えたことが大きい。

更に、1980年代の終わりごろから、日本に

やって来た大勢のイラン人労働者が、帰国後に

日本での生活で学び取った日本人の習慣や

生活態度、勤勉さなどが、イラン国民に広く

伝わっていることが、米国とは裏腹の親日感に

結び付いている。

備えよ常に! 備えあれば憂いなし 

 健康と安心のメタボへの備えは?





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