山水蓬莱図 油絵
673年天武天皇の娘、大来(おおく)皇女が
飛鳥京から、伊勢の斎宮の地にやってきた。
当時の建物は、現在の斎宮跡地域より、少し
西寄りに存在したとされ、掘立柱跡や柵列の
一部が検出されている。
最盛期であった奈良時代後期から平安時代
前期に亘る整然とした区画を備えた斎宮域の
様子が発掘により明らかにされて来ている。
遺構の規模は南北0.7Km,東西2Kmにも
なる広さを備え、120m四方に区画された区域が、
12m以上の幅の道路で仕切られて、南北4区画
東西7区画が存在していた。
この区画の中央部南寄りに斎王が祭祀を行い
居住する内院の区画があり、その東の区画には
斎王に仕える女官たちが居住していたようだ。
この二つの区画からは、女官たちが記したと
想定されるひらがなが記された墨書土器が
多く出土することで知られていた。
女手(おんなで)と呼ばれるひらがなは、宮中で
広く使用されていたもので、このひらがなによる
歌が記された墨書土器が新たに見つかった。
「いろはにほへと」のいろは歌の一部の「ぬるを
わか」を内側に、「つねなら」が外側に書かれた
土器片で、11世紀から12世紀の平安時代の
ひらがなのいろは歌として日本最古とされる。
「備えよ常に! 備えあれば憂いなし」ですね。
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