1755年11月1日、ポルトガルのリスボン沖、
推定サン・ヴィセンテ岬の西南西約200km
付近を震源とするM8・5~9・0の巨大地震が
発生し、地震に伴う大津波が首都リスボン
市街を襲い、津波による死者1万人を含む、
5万5,000人から6万2,000人の犠牲者が出た。
欧州の自然災害では歴史的な大災害だった。
この地震の発生について、現在でも確たる
原因が不明のままである。
震源とされる一帯の海洋底は、勾配が
0.1パーセント以下の平坦な海底になっている。
水深4800mの海底大平原が拡がっており、
大陸由来のシルト・粘土・砂などが薄く
堆積した場所とされている。
1969年になって、近くでまた地震が起きた。
M7・8の大地震で、津波が起きて13人が
死亡したほか、多くの負傷者が出た。
最近の研究で、この平らな海底平原下には、
まわりよりも密度が高い物質の存在が
確認され、これは海洋プレートが深い
ところで変質したものだと考えられている。
この周りより重いこの部分が、いずれ
沈み込んでプレートの衝突が起きると
いう学説が出された。
この沈み込み帯が活発になっているのは、
将来起こると見られる[北アメリカプレートと
ユーラシアプレートの収束]の兆候である
可能性もあるという。
沈み込み帯では構造プレートが別の構造
プレートの下に潜り込んで壊れ、しばしば
その過程で地震が発生する。
1755年や969年の地震は、北アメリカ
プレートとユーラシアプレートがポルトガル
沖で沈み込んでいることによるものだとする。
そして、この沈み込みで大西洋は小さくなる。
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