日本では、戦後の食糧難の時期、サツマイモが
深刻な食料不足を救ってくれた。
サツマイモは、中国から琉球(今の沖縄県)に
伝わっていたのが、徳川時代の初期に薩摩
(今の鹿児島県)に伝わり、サツマイモと
呼ばれて明治以降には岩手県より南部に広がる。
ジャガイモの渡来はさらに古く、織田信長の
時代に交易拠点をジャワ島に置いていた
オランダ人によって長崎に持ち込まれ、
「ジャガタライモ」と呼ばれていた。
このジャガイモの故郷は、インカ帝国時代の
アンデス地方だとされ、元前5世紀から
原住民によって、トウモロコシと共に栽培
されていた。
16世紀後半に、インカ帝国を征服したスペイン
人が南アメリカからヨーロッパに持ち帰り
栽培が広がった。
中国に次いで、生産量第2位のインドへは
17世紀にポルトガル人によって持ち込まれたと
され、インドを植民地としたイギリスのより
インド北部地域での栽培が盛んになった。
イギリスもまた、ヨーロッパでのジャガイモ
栽培普及の役割を果たした。
冷涼な地域を好むジャガイモは、冷害にも
強く、北欧では主要な食料源となった。
1845年~1852年頃には、アイルランドで
ジャガイモ疫病菌により、ジャガイモが不作と
なり、約100万人が餓死したほか、約100万人が
主としてアメリカなどへ移住している。
1815年4月、インドネシアのバリ島から西、
2つ目のスンパワ島にあるタンポラ山(2851m)が
人類史上最大の火山噴火とされる大噴火をし、
小氷河期に当たっていたヨーロッパでは、
日照が遮られて、気温が1・7℃も下がり、
大規模なな冷害となり、20万人の餓死者を
出したとされる。
小氷河期に当たっていたヨーロッパでは、
火山噴火だけでなく戦争による災害で深刻な
食料不足に見舞われる時代が続いたが、この
時代にジャガイモは多くの人々の命を繋いだ。
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