l 安政年間(1854年~1860年)は、日本全国が
大揺れの年であった。
(嘉永7年11月27日に安政に改元されたので、
この年も安政元年とする。)
大地震だけでなく、黒船来航に伴う日米和親
条約や 日露和親条約締結が締結されている。
1860年3月24日には、大老井伊直弼が江戸城
桜田門外で暗殺された。
1854年6月15日: 伊賀上野地震(安政伊賀地震)。
木津川断層によるM7.2~7.3の地震。
薬師寺東塔が損傷し、伊賀上野城西大手門の
石垣崩壊で死者や奈良の古市村で溜め池が
連続して決壊し、死者110名がでた。
同年12月23日: 安政東海地震。
南海トラフ沿い東側半分に当たる東海道沖が
震源域となった地震でM8・4の大地震。
同年12月24日: 安政南海地震。
東海地震の翌日、32時間後に南海トラフの
西側半分が震源域のM8・4の大地震で、
[稲むらの火]のモデルとなった。
同年12月26日: 豊予海峡地震。
更に2日後、40時間後に大分県と愛媛県との
間にある豊予海峡のやや大分県寄り、安芸灘
から伊予灘を経て豊後水道に至る領域を震源と
するプレート内地震で、M7‣4の大きな地震。
安政南海地震に因り誘発された地震といえる。
1855年11月11日:安政江戸地震。
江戸直下地震で、震源は東京湾北部・荒川河口
付近、または千葉北西部とされるM 6.9-7.4の
地震で、内陸地殻内地震かプレート境界地震。
江戸に、人々が集中していた時期で、地盤が
軟弱な埋め立て地の隅田川東岸の人口密集地
では甚大な被害が発生し、死者は1万人とも。
1856年8月23日:安政八戸沖地震。
八戸沖(三陸沖北部)の日本海溝で発生した
プレート境界型の固有地震でM7・5。
北海道太平洋側から三陸海岸にかけて、3m
から6mに達する津波が繰返し襲った。
1858年4月9日:飛越地震。
富山・岐阜県境の跡津川断層を震源に発生した
M7.0 - 7.1と推定される地震。
北陸地方や飛騨を中心に大きな被害が発生し、
死者426人、立山連峰の鳶山が崩壊する
鳶山崩れ(大鳶崩れ)が発生。
これにより、常願寺川で堰止め湖が形成され、
その後の余震で、二度にわたり決壊し、下流で
多数の家屋が流失し、多くの死者が出た。
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