1832年(天保3年)から 天保大飢饉が起こり、
東北から全国に広がった。
1833年には、冷害に加えて大雨による洪水も
加わり、特に東北地方(陸奥国と出羽国)の
被害が最も大きかった。
飢饉は、全国規模で発生し1839年(天保10年)
まで続き、この間に日本の人口は3,198万人
から3,073万人へと125万人も減少したとされる。
特に被害が大きかったのは東北・北関東地方
では、ひどい年には、農作物の収穫高が例年の
約3割まで落ち込み、米価が高騰し、農村部の
貧しい農民だけでなく、都市部の貧困層の
生活は大きなダメージを受けた。
米価の引き下げを求める百姓一揆や民衆が
コメを求めて米屋を襲ったり、質屋、酒屋
などの富豪を襲撃して、家屋の破壊や家財の
略奪などの収奪する暴動が全国で発生した。
1837年(天保8年)には、大坂町奉行所の与力の
大塩平八郎が、飢餓で苦しむ民衆救済のため
挙兵する大塩平八郎の乱までが発生した。
この長期にわたる飢饉発生の原因について
2024年に研究者によって発表された報告では
北半球の年間平均気温が約1℃も低下した
原因は、大規模な火山噴火により、二酸化
硫黄が成層圏に大量に放出された結果である
として、長年調査をしていた謎の火山が、
千島列島の新知島にあるザバリツキー火山で
あることを突き止めた。
1808~35年にかけては、ザバリツキー火山の
他にも三つの火山が大噴火をしている。
1835年1月20日に、ニカラガのコシグイーナ
火山が大噴火(VEI=5)をしており、これが
33年の飢饉に続いて36年(天保7年)に再び
冷害にみまわれて大凶作となった原因とされる。
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