2024年7月、佐渡金銀山は世界文化遺産として
登録された。
外周およそ280キロメートルの佐渡島には、
確認されているだけで約30もの鉱山が分布する。
そのなかで相川金銀山・西三川砂金山・新穂
銀山・鶴子銀山の4つが主な金銀鉱山。
相川鶴子金銀山は、ポスターなどでお馴染みの
二つ割れの形をした山で知られるが、これは
金鉱床が掘り取られたために出来た形状。
金を含む鉱床は、岩石の隙間に沿って形成
されるため、坑道は狭く、長くなる。
相川鶴子金銀山坑道は、あの三角のトンガリ
ヤマの地下に延びており、総延長は約400Km,
最深部は海面下530m、採掘された鉱石は
約1,500万トンに達する。
此処には、坑道跡や製錬施設跡、山中の集落跡、
港の遺構など、数多くの遺産が現存している。
佐渡島は、金銀の産地だけでなく、日本の
古くからの歴史にも関わりが深く、文化の
レベルの高い地域であった注目度の高い島だ。
奈良時代初めに編纂された古事記や日本書紀
にも登場する。
国生み神話の大八島の7番目或いは5番目に
[億岐州(隠岐の島)]と共に[佐度州(佐渡島)]が
登場する知られた島だったことが判る。
奈良時代に、上流階級に属する人たちの
流刑地として定められていた。
722年に、皇室批判を行った万葉歌人の穂積
朝臣老が流されて来たのを始め、1221年に
承久の乱で敗れた順徳上皇、1271年に鎌倉
幕府や他教を批判した日蓮聖人、1434年に
時の将軍の怒りを買った能楽の世阿弥など、
中世までは政争に敗れた貴族や知識人が
流されて来た。
彼らは、多くの場合、家族や取り巻きの人たち
共々、時の文化と共にやって来た。
更に、江戸時代に金銀銅が産出されたのを
契機に、天領となって幕府直接統治となった
ことで、江戸から奉行や用人の交替に伴う
人々の往来で、直接的に江戸文化が伝わって
いたことが、今に残る能楽など、佐渡文化の
高さに反映されている。
加えて、重要な日本海側の流通を担う航路の
寄港地として重要な場所であった。
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