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2025年3月20日木曜日

世界文化遺産 「佐渡島の金山」

備えよ常に! 備えあれば憂いなし




2024年7月、佐渡金銀山は世界文化遺産として

登録された。

外周およそ280キロメートルの佐渡島には、

確認されているだけで約30もの鉱山が分布する。

そのなかで相川金銀山・西三川砂金山・新穂

銀山・鶴子銀山の4つが主な金銀鉱山。

相川鶴子金銀山は、ポスターなどでお馴染みの

二つ割れの形をした山で知られるが、これは

金鉱床が掘り取られたために出来た形状。

金を含む鉱床は、岩石の隙間に沿って形成

されるため、坑道は狭く、長くなる。

相川鶴子金銀山坑道は、あの三角のトンガリ

ヤマの地下に延びており、総延長は約400Km,

最深部は海面下530m、採掘された鉱石は

約1,500万トンに達する。

此処には、坑道跡や製錬施設跡、山中の集落跡、

港の遺構など、数多くの遺産が現存している。

佐渡島は、金銀の産地だけでなく、日本の

古くからの歴史にも関わりが深く、文化の

レベルの高い地域であった注目度の高い島だ。

奈良時代初めに編纂された古事記や日本書紀

にも登場する。

国生み神話の大八島の7番目或いは5番目に

[億岐州(隠岐の島)]と共に[佐度州(佐渡島)]が

登場する知られた島だったことが判る。

奈良時代に、上流階級に属する人たちの

流刑地として定められていた。

722年に、皇室批判を行った万葉歌人の穂積

朝臣老が流されて来たのを始め、1221年に

承久の乱で敗れた順徳上皇、1271年に鎌倉

幕府や他教を批判した日蓮聖人、1434年に

時の将軍の怒りを買った能楽の世阿弥など、

中世までは政争に敗れた貴族や知識人が

流されて来た。

彼らは、多くの場合、家族や取り巻きの人たち

共々、時の文化と共にやって来た。

更に、江戸時代に金銀銅が産出されたのを

契機に、天領となって幕府直接統治となった

ことで、江戸から奉行や用人の交替に伴う

人々の往来で、直接的に江戸文化が伝わって

いたことが、今に残る能楽など、佐渡文化の

高さに反映されている。

加えて、重要な日本海側の流通を担う航路の

寄港地として重要な場所であった。

備えよ常に! 備えあれば憂いなし 

 健康と安心のメタボへの備えは?





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