江戸時代には、太陽活動が弱くなったことも
要因に挙げられているが、火山噴火により
吹き上げられた火山灰による日照の減少が
原因と考えられる冷害を含め、度々飢饉が
発生している。
1642年 寛永の大飢饉
1732年 亨保の飢饉
1756年 宝暦の飢饉
1783年 天明の大飢饉
1833年天保の大飢饉
これらのうちで、特に[天保の飢饉]、[享保の
飢饉]、[天明の飢饉]は、 江戸時代の三大
飢饉とされている。
この内の天明の大飢饉は、1782年(天明2年)から
東北地方を中心に、東日本が悪天候に見舞われ、
翌1783年(天明3年)には、異常低温で冷害が発生。
春になっても気温が上がらず、降雨続きで、
日本各地で洪水が発生。
夏になっても晴天の日が少なく、寒さのた
厚手の着物を着る必要があったとされている。
長引く悪天候や日照不足による冷害により、
農作物は不作で、米の収穫が殆どなかった
地域も出るほどだった。
天明の大飢饉の間に餓死した人数は、最終的に
全国で900,000人以上に及んだと言われている。
1783年(天明3年)3月には青森県の岩木山が、
また、7月には長野県で浅間山が大噴火。
これらの火山噴火が、更に、農作物やコメの
収穫減に大きな影響を与えた。
浅間山の大噴火(VEI=4)よりも、日本全土では
北半球を巻き込んだラキ火山の噴火がある。
1783年6月8日、アイスランドのラキ火山が
大噴火(VEI=6)し、大量の溶岩が周辺に流出し
二酸化硫黄などの硫黄酸化物やフッ素化合物が
成層圏まで噴き上がり、ヨーロッパ一帯から
北半球に滞留した。
その後数年にわたって世界規模で低温・多雨
などの異常気象が発生し、アイスランドを
中心に欧州では家畜の大量死や農地が壊滅
するなどによる不作が続き、飢餓などで
9,000人以上が死亡した。
異常気象の影響で食料価格は暴騰し、人民の
不満の高まりがフランス革命の遠因になった。
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