神奈川県の三浦半島の先端部分には、多くの
海蝕洞穴が存在する。
これらの洞穴内の調査で、弥生時代の人骨や
土器、アワビの貝殻が多く見つかるなど、
弥生時代の海蝕洞穴遺跡として調査が進む。
その中の一つ、三浦市三崎港の近くの海岸の
崖の洞窟に白石洞穴遺跡がある。
洞窟内の発掘調査で、地下1・8mの地点から
古墳時代の墓が出土した。
この発掘調査に備えたトレンチ面には、古墳
時代から現在までの津波堆積物が層状に存在
していることが確認された。
層状堆積物から、古墳時代以降の1千数百年
間に、4~5回の津波の来襲が確認された。
注目されたのは、この中に放射性炭素年代
測定によって、明応年間(1492~1501年)の
大規模な堆積物の存在が確認された。
これまで、明応7年(1498年)に東海、東南海、
南海の3つの地震が連動して発生した南海
トラフ大地震(明応地震)が記録されていた。
この巨大地震により浜名湖が海とつながった
ほか、鎌倉の大仏殿が倒壊し津波で流されたと
されていたが、その後の調査研究で和歌山県の
熊野社の「熊野年代記」や京都の公家の日記にも
明応4年の地震の記録があった。
このことから、1498年の南海トラフ地震
以前の1495年にも大地震があったが、戦国
時代最中のことで、1498年の地震との混同と
する説が有力視されて来た。
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