*それでも韓国は、国際的な活動とみなされる
動きをとることもある。だが、そうした動きの
ほとんどは断片的で、見せかけだけだったり
シンボリックにすぎない場合が多い。
実際には韓国政府の対外活動への財政支出は
少なく、有権者や納税者が、自国に直接的に
利益をもたらす課題以外に国の財源を回す
ことに難色を示す傾向が明白である。
*韓国の社会には偏狭な視野と価値観が深く
浸透している。その一例は、外国からの難民や
移民の受け入れに対して激しい難色を示す
傾向である。現在、韓国には合計250万人の
外国人が居住しているとされるが、韓国人
一般はその種の外国人をやがては去っていく
暫定的な労働力としかみていない。
*韓国人の多くは外来者に対して、高度の
教育や技能を持つ人間でも、同じ朝鮮民族
以外はやがては韓国を離れていく存在とみなす。
東南アジアなどの開発途上国からの出稼ぎ的な
外国人労働者は、韓国社会に同化させようとは
しない。単純労働だけに関与して短期で去る
ことを期待している。
これは、韓国の出生率の低下や高齢化を考えると、
この種の外国人忌避は非現実的である。
しかし、その根は深く、変わりそうにない。
論文では、以上のような考察を記したうえで、
結論として、韓国の国家、社会、国民の3つの
レベルを通じて「グローバルな視野と責任感に
欠ける」と断じていた。
*全くその通りと、韓国人の本質を見抜いた
指摘だが、もし日本人学者がこのような内容の
論文を書けば、何が飛んでくるか判らない。
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