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2009年9月4日金曜日

安政の大地震と「稲むらの火」

赤富士  油絵  10号



災害にまつわる話で、よく出てくるのに「いなむらの火」と

いう話があります。

江戸時代の末期、安政時代にあった実話です。

安政時代の初めには、大地震が多発しました。

記録を列挙すると、このようになります。

地震の発生日と規模、震源地は

  安政元年(1854)11月4日  M8.4  東海

  安政元年(1854)11月5日  M8.4  南海

  安政元年(1854)11月7日  M7.4  豊予

  安政2年(1855)11月11日 M6.9  東京(江戸)

いま、大地震の再発に備えることの必要性が説かれて

いるのは、このときの東海から南海、更に四国沖まで

連続して発生した大地震の再発の周期に当るからです。

11月5日のM8.4の大地震が南海沖を震源として発生し、

津波が襲ってくることを予測した地域に住む郷士が、

刈り取ったばかりの稲を干している稲むらに火をつけて

それを知った村人を高台に誘導して、避難させ襲ってきた

津波から 村人を救ったという実話で、今の和歌山県の

広川町(当時の 広村)であった実話です。

今でも広川町では、この日を記念して、その後に構築された

堤の手入れをして、郷士の浜口梧陵の威徳を偲び、防災

意識の啓蒙活動を続けてイザという時に備えています。

浜口梧陵は、明治維新後、和歌山県の県会議員として

活躍し、県会議長も勤めています。

 「備えよ常に! 備えあれば憂いなし」ですね。
 
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