1923年(大正12年)9月1日に発生した大正
関東地震の震源地は、伊豆大島北端にある
千ヶ崎の北15km付近の相模湾海底で、太平洋
沖から房総半島南部を経て相模湾を通り、
陸側の国府津-松田断層帯に連なるトラフに
沿った場所だった。
この地震による、南海トラフへの影響は
見られなかったが、過去には相模トラフと
南海トラフでは影響しあって大きな地震を
発生させてきた。
両トラフは、伊豆半島を先端とした舌状に
南方から陸側に沈み込んでくるフィリピン海
プレートの両側に存在する。
記録に残っている両トラフが影響し会った
地震としては、1495(明応4)年に相模湾沿岸で
発生した明応地震では、地震とその後に発生
した津波で、鎌倉の大仏殿が倒壊し、死者が
200人余出たとの記録がある。
この地震の3年後の、1498年9月20日に南海
トラフを震源とするM8・6の地震が発生。
この地震では、東海、東南海、南海の3つの
震源域が連動して動き、大きな被害が出ている。
太平洋岸を襲った大津波で、陸地内の淡水湖で
あった浜名湖の海側の堤防が大きく決壊し、
現在のような海とつながった内海となった。
1854年(嘉永7年)に発生した安政東海地震
(M8・4)の地震では、僅か32時間後に震源域が
隣接する東南海の紀伊半島沖を震源とする
安政南海地震(M8・4)が発生している。
相模トラフと南海トラフでは、少なくとも
2回、3〜4年の期間で連動地震を観測している。
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