ウクライナ軍は11月11日、ロシア軍が占拠後に
一方的に併合を宣言した南部ヘルソン州の
州都ヘルソンを奪還し、解放した。
9ヶ月ほど前の2月24日に、ロシア軍は19万人
程の軍勢でウクライナに[特別軍事作戦]との
名目で侵攻を開始、首都キーウに迫った。
ロシアのメディアは、1週間もすればキーウの
街をロシア軍が行進していると囃し立てていた。
だが、攻略はならず大敗して撤退、ロシア国営
テレビはウクライナで、米、英、EU、及び
NATO連合勢力と戦っていると外部勢力の
ためにキーウ陥落が出来なかったと弁解。
戦場での失策はロシア政府のせいではなく、
外部の敵のせいだとし、ロシア軍やロシアの
大統領を非難するなら、非難する代わりに
国民としての義務を遂行しろ、ロシアの旗の
もとに結集しろという論調だったという。
また、ヘルソン撤退については、撤退を進言
したロシア軍のウクライナ総司令官の判断を
称え、ヘルソンからの軍の撤退とプーチン
大統領とは無縁だと理解させるようにしている。
11月9日に、ロシア軍の撤退を口にしたのは
将軍たちで、国営テレビは国防相が撤退命令を
出す場面には、全軍の最高司令官のプーチン
大統領の姿はなかった。
11日に、報道官は[国防相の決定だ。私には
何も言うことはない]と軍が決めたこととする。
だが、[特別軍事作戦]作戦と命名して、侵攻を
命令したのはプーチン大統領。
侵攻当初は、戦うのは職業軍人だけとして
いたはずが、最近では学生から囚人までを含む
30万人を半ば強制的に動員せざるを得ない状況。
国民は、プーチンは[戦の権現]として崇めて
いたが、今では政府がプーチン大統領を庇えば
庇うほど、メッキがはげ落ちて行き、国民の
前に姿を現せないほど、追詰められ居るようだ。
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