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2009年8月11日火曜日

中国の屯田兵

凱旋門のある通り   油絵  10号



日本で屯田兵といえば、明治維新と共に未開の北海道の

開拓と士族の救護策などから提唱されて始められ、ロシアの

南下に備える必要性も加わり、道南から次第に北へと

全道に広がりました。

一定規模の兵団を組織して、未開の大地を開拓すると

ともに、外敵に備える兵力を維持しtげいます。

中国では、1949年の中華人民共和国の成立の際、人民

解放軍が新疆を解放して、新疆ウィグル自治区としました。

新疆ウィグル自治区は中央部を大砂漠が占める日本の

4倍以上もある広い自治区です。

周囲を取り囲む山脈と砂漠の間に環のように緑地が

連なっています。

この各所に解放軍が駐屯してソ連やインドなど周辺国からの

圧力に備える態勢をとっていました。

北京から3000Kmも離れた辺境各地へ兵糧を送ることは

至難であるため52年には、10万人ほどの兵士に、開墾と

辺境防衛の任務を与えて定着策をとったのが始まりです。

開墾地域の道路や灌漑設備などの整備が進むと共に

54年には中央から正式に、新疆軍区生産建設兵団の

名称を与えられて、開墾地が国営農場として認められます。

更に、56年には所属員全員が軍籍を離れますが、中国

各地から革命戦士として人材を集めては兵団を拡大。

所属員の結婚に備えて、毎年2万人もの未婚の男女を

送り込んで、組織を拡大しています。

現在では、14個師団、185連隊となり、独自の大学や

農業関連の研究所や上場企業も所有する245万人の

大組織となっています。

備えよ常に! 備えあれば憂いなし」ですね。
 
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