凱旋門のある通り 油絵 10号
日本で屯田兵といえば、明治維新と共に未開の北海道の
開拓と士族の救護策などから提唱されて始められ、ロシアの
南下に備える必要性も加わり、道南から次第に北へと
全道に広がりました。
一定規模の兵団を組織して、未開の大地を開拓すると
ともに、外敵に備える兵力を維持しtげいます。
中国では、1949年の中華人民共和国の成立の際、人民
解放軍が新疆を解放して、新疆ウィグル自治区としました。
新疆ウィグル自治区は中央部を大砂漠が占める日本の
4倍以上もある広い自治区です。
周囲を取り囲む山脈と砂漠の間に環のように緑地が
連なっています。
この各所に解放軍が駐屯してソ連やインドなど周辺国からの
圧力に備える態勢をとっていました。
北京から3000Kmも離れた辺境各地へ兵糧を送ることは
至難であるため52年には、10万人ほどの兵士に、開墾と
辺境防衛の任務を与えて定着策をとったのが始まりです。
開墾地域の道路や灌漑設備などの整備が進むと共に
54年には中央から正式に、新疆軍区生産建設兵団の
名称を与えられて、開墾地が国営農場として認められます。
更に、56年には所属員全員が軍籍を離れますが、中国
各地から革命戦士として人材を集めては兵団を拡大。
所属員の結婚に備えて、毎年2万人もの未婚の男女を
送り込んで、組織を拡大しています。
現在では、14個師団、185連隊となり、独自の大学や
農業関連の研究所や上場企業も所有する245万人の
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