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2011年1月14日金曜日

「いなむらの火」が再び教科書に

赤富士  油絵  10号




安政元年11月5日(1854年:旧暦)、紀伊半島沖を

震源とするM8.4の巨大な南海地震が発生しました。

発生間もなく、和歌山県の広村(現在の広川町)を

始め沿岸の村々を大津波が襲ってきました。

広村に住む郷士の浜口梧陵は津波が押寄せて来る

ことを悟り、刈り取ったばかりの稲むらに火をつけて、

村の住民を高台に導き大津波から村民を救いました。

戦前の教科書にあた、このエピソードを今年から

小学校5年生の教科書に再び載せることに。

稲むらの火」と呼ばれて知られていたこエピソードを

通じて地域の連帯感の必要性を学ぶためです。

梧陵は、この後大被害を受けた村民の離散を防ぐ

ために、また再び襲ってくる津波に備えて村を守る

ために、私財をなげうって防波堤の築造工事を進め

村の復旧・復興で被災した村民の生活を支えました。

当時の堤防は広村堤防と呼ばれ、現在も地域の

人々を守る大切な堤防として機能しています。

浜口梧陵は、その後に和歌山藩の勘定奉行を務め、

初代和歌山県会議長として多くの業績を残している。

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